壊すから知る家の歴史

山々に転々と桜の木があり、
道や家に桜の木があり、
遠くに近くに春を感じております。
いぬ飼いたい。
どうも妻です。
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先週は絶賛捨てるウィークでした。
赤石電気設備の方々が応援に駆けつけてくれたおかげで
捨てるものの大方は無くなりました。
さあ次へのステップです。
蔵の裏にある納屋を壊し駐車場にする予定を進めていきます。
まずは、父の紹介で相談に乗ってくれた社長と打ち合わせ。アレをこうして、ココに土を持って、ココの用水路は、、、
納屋のある敷地と畑の敷地は「宅地」申請したほうが…
OK,OK!!やりますよ。申請しなおしますよ。
ここからが長い道のりのはじまりでした…
法務局に行って構図やら登記簿謄本をとってきてからの市役所。
ここからは地方だけのことなので興味ない人はぶっとばして、、むしろこの記事は見なくても…
まあまあ、そう言わず。
まず、うちは敷地が4つに分かれていた。
そのうち2つは宅地、納屋のある畑、裏の畑(田として登記してある)。
自分の土地だから勝手に使わせてくれると思いきや大きな間違いであった。
以下が問題点と解決方法
[納屋のある畑]
・伊那市の農業振興地区(以下:農振)に当てはまりまともに申請すると認可に10ヶ月かかる。
→今ある納屋を利用し宅地に変えてしまうことがもっとも近道。
・納屋を建てたのが農振制定される昭和47年以前からあることを証明させる必要がある。
→納屋内にある農機具から年代を調べるために郷土博物館に出向く。
 柱に使われていた木材をヒントに建てた年代をみる。父と祖母の証言を写真つき資料として提出する。
・地区の農振担当者に変更したい旨を知らせる。
→祖母と父を連れ担当者宅を訪問。いい人だった。うれしい。
・提出資料を役所に届けたら、次は土地開発外区域の証明を持ってきてといわれる。
→最初に言ってくれよ。土地開発事務所に出向くが役所に行って項目を埋めてもらえといわれる。
→役所に行ったら、土地開発区域外の証明がなければ受理できないのでまずはそっちといわれる。
*ちょっとキレそうになる。
…要は、役所と土地開発事務所が連携とれてないのですよ。
最終的に、両者とも私がかわいそうってことでいろいろ大目にみてくれた。
↑これで1週間費やす。
[裏の畑]
畑の一部を駐車場利用で使いたいため、こちらはストレートに農振除外申請をする。
10ページくらいの申請書類を渡され欄を埋めてきてくださいとのこと。
これはあまり難しいことはなさそうだが「へえ~」ってことがいくつかあった。
例えば、一般民家で持てる宅地の面積は500㎡が限度。これを超えることはできない。
赤石商店は宅地の部分ですでにアウトっぽいが、簡易宿所をやる旨を伝えたら審議対象になるとの事だった。よかった。
あと、駐車場予定の敷地から4メートル以内にある田んぼの持ち主に承諾のサインをもらってこなければならない。
排気ガスや音に注意します~的な誓約書も書いたり。
ひとつの土地を項目変更するのってこんなに大変なんだ…
この土地に関してもやはり祖母と父がよくわかっていてたくさん話をした。
現状の「ピンクの外壁」
なぜこの色なんだ…とずっと思ってたら判明しました。昔、うちは「さくらやラジオ店」という電気屋を構えていたらしい。
だから桜色のピンクにしたんだと。
おばあちゃん(89)は最近物忘れもするけど、昔のことはよーーーく覚えている。
ずっと家業を手伝っていたみたい。従業員がお腹すいたらだめだ。ってことで
としくんに「なにか食べろ」「ごはん、ごはん」
私には「弁当のおかずはあるのか」「としちゃん帰ってきたら食わせる干し芋を買ってきてくれ」を毎日言われます。
「納屋を壊す」というところから発展し、色々な行政と歴史を学んでます。
伊那市役所の人たちはどこでも親切で助かります。
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夫とはまあまあ揉めながら毎日をすごしております。
いつもこころに雷太さんを…
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